ブログ主が軽い肺炎にかかってしまったので、ちょっと今回は趣向を変えて歴史のお話でも。
ネタ探しをする体力は無いけど、こういう話は沸いて出てくるw
ちょっと歴史をかじるとマイナーな人に走りがちだけど、自分としてはやっぱり不世出の天才が面白い。
織田信長とか。
超メジャーw
でも、自己啓発本とか読むよりはるかに面白くためになる。
極力無理をしないし諦めない
信長はバサラな人物で、大胆不敵、冷酷非常、奇襲大好きなイメージを持っている人が多いが実はそうでもない。
非常に慎重で、堅実、そして苦労人であった。
信長は父親の死後に尾張を受け継ぐが、弟やら叔父やらが裏切りまくって50万石以上あった領地が8万石まで減ってしまう。
弟の方が領土が広い。
そこまで落ちぶれる。
だけど信長は決して諦めないし暴走もしない。
乾坤一擲の勝負もしない。
コツコツとじっくり相手の家臣を寝返らせたり、自分より弱いところから狙ったりと自分が負けないように力をじわじわと蓄えていき、18歳の時から26歳まで、8年もかけて尾張を統一する。
とても血気盛んな青年とは思えない粘り強さ。
その後今川義元が25,000人の兵士を擁して責め立ててくるものの、まったく諦めない。
普通なら籠城して時間稼ぎをするくらいしかできないところだが、信長は情報をかき集めまくって今川義元の本陣を探し出し、そこを急襲して討ち取るという快挙を成し遂げる。
それで全国に一気に名を広めるが、一切思い上がらない。
今川義元を倒したことで今まで刃向かってきていた連中も一気に降伏し、2万人以上の兵士を動員出来る勢力になる。
普通だとそこで色気を出して大兵力で他家を責め立てるところだけど、信長はしない。
情報第一主義
尾張の上には美濃(岐阜県)があり、そこを併呑すれば一気に大大名の名を連ねることになるが、大兵力で責め立てない。
ちょこっと兵力を出して戦ってみては相手の戦力を調べたり、どの武将同士が仲がいいとか悪いとかを細かく調べていく。
徹底的に情報をかき集め、分析し、裏切りそうな武将がいれば金を積んで裏切らせ、相手を少しずつ弱体化させていく。
そして時間をかけること8年。
大戦をすること無く、ほぼ無傷で美濃の併呑に成功する。
おかげで土地は荒れ果てることも無く、城は綺麗なままで手に入れることが出来た。
信長はイメージとは裏腹に恐ろしいほど慎重に駒を進めていく人物なんだよね。
それがとても面白い。
線の内政
学校の授業でも習ったとは思うけど、信長は指出検地、楽市楽座、関所の撤廃、兵農分離という内政制作を行った。
実はこの政策はすべて線で繋がっているんだよね。
腐れ切った地侍達
戦国時代には地侍という有力者がいっぱいいて、大名は大きな土地を持っているというわけでは無く、沢山の地侍に擁立された、いわば地侍の集合体というか連合国の大統領のような立場だった。
その当時はどの大名もそんな感じで、大名に冷遇された地侍はあっさり敵に寝返ったりもしたんだよね。
連合国の大統領である大名は地侍から税金を取り立てることができたが、その代わりに地侍の土地に敵が攻め込んでくると守ってあげなきゃいけない、ギブアンドテイクのような関係だった。
だから、戦の上手い大名には地侍がいっぱい集まって大勢力にもなるし、その跡継ぎが戦下手だったらたちまち地侍は離散し、勢力は縮小したり、ひどい時には仲間の地侍に攻められて滅亡することもよくあった。
さらに、地侍はなかなかその土地から動きたがらない。
元々は農業が本業だから、農業が忙しいからと兵の動員を断ったり、戦の場所が遠いと面倒くさいから嫌だと言うし、戦争に参加したらしたで村を焼き払って略奪のし放題だしでろくでもないことこの上なかった。
地侍の所にいる農民も農民と言うより奴隷で、農作業や出兵を強制され、子供が生まれても地侍が勝手に人にあげちゃったりと無茶苦茶してた。
地侍は自分の土地が安全ならそれが一番だし、遠征に参加するのも嫌がるし、そんなことするなら別の大名に裏切っちゃうよ、とか大名を脅したりする始末で、やりたい放題だった。
関所を徹底的にぶっ壊して農奴を解放
その地侍同士の境界線に関所があって、そこの行き来をする人から金を巻き上げていた。
さらに関所は奴隷である農民を逃がさないための監視所の機能も果たしていた。
それを信長は自分の軍隊で脅して関所を撤廃させちゃう。
いうことを聞かない地侍のところには鉄砲隊を連れて行って撃ちまくってぶっ壊したりと徹底的に関所を撤廃してしまう。
そうすると、今まで奴隷として扱われていた農民は地侍のところから蜘蛛の子散らすようにいなくなっちゃった。
商人やフリーターの受け皿楽市楽座
その受け皿となったのが楽市楽座。
どこぞから逃げてきた人でもどんな商売をやってもいい。
どこから借金ぶっこいてきた人でも、楽市楽座無いなら払わなくて良いっていう開放政策を行ったおかげで、織田家の領地は人でごった返すような賑わいになる。
滅茶苦茶に雇用も生まれる。
そこからテラ銭を巻き上げて信長は大金持ちになるんだよね。
地侍を織田家の従業員化した指出検地と兵農分離
で、困ったのは地侍。
今まで儲けの源泉だった農民には逃げられ、食っていけなくなっちゃう。
こうなったらテロでも起こすか他家に走るか・・・とまたろくでもないことを考えていたところで織田家の使者が来る。
おまえらの領地からどれだけ収入あったのか、紙に書いて出せ。
その分給金としてやるわ。
と言い、帰っていく使者。
地侍はずるいから、ちょっと盛って領地の収入を申告するんだけど、信長はOK。いいだろうとどんどんOK出しちゃう。
そのかわり、うちの城下に住めよという条件付で。
これが指出検地。
地侍達は金をくれるならと城下町へホイホイついて行き、徹底的に軍隊訓練を仕込まれる羽目になる。
おかげで信長は職業軍人部隊を手に入れることが出来たし、同時に言うことの聞かない地侍達も消滅させた。
他の大名は半農半武の農民兵だから農業が忙しい時は攻めることが出来ないが、信長は全然気兼ね無しに攻めることが出来るようになった。
行動を点から線にする
一つ一つの政策だと成功しなかった事案も、信長は政策を連動させることで一気に爆発的な成功を収めた。
信長は危険な破壊者とおもわれがちだけど、ものすごく緻密な作戦立案で慎重に事を進めていく。
信長には参謀がおらず、信長が司令官であり参謀でもあった。
信長はよほどのことが無い限り相手よりも多くの兵を集め、相手よりよい装備をし、負ける可能性を徹底的に潰した戦をした。
もし相手が自分より多くの兵を集められるなら卑屈なまでに頭を下げて攻めないように懇願し、貢ぎ物をしこたまあげまくって油断させて力を蓄え、準備が整ったら攻め潰す冷酷さも備えていた。
恐るべき先見性
彼の人生のおもしろさは他に変えがたいものがあるね。
彼は一時代先の人間がタイムスリップしてきたのではないかと思わせる先見性を持っていた。
神仏を恐れていた時代に高利貸しと化して堕落の限りを尽くしていた寺院を焼き払い、地蔵を打ち壊して石垣とし、権威を権威とも思わない、自分の価値観でしか価値を測らない人間だった。
どの戦国時代の武将より信長がずば抜けて面白い。
もし興味を持ったなら適当な本やWikipediaでも読んでみるといいかもね。
さて、病人は寝るとします。
くずのはさん、こんばんは。
肺炎とは、おだやかじゃないっすね。
無理せず、しっかり休んで早く良くなって下さいね。
病院行ったら肺炎ですって言われて(゜Д゜)ってなりましたw
3日間は絶対安静らしいので、ちょっと困ってます(;´Д`)
健康は大切ですね(-_-;)
おはようございます。
キョウジさんだいじょうぶですか?(´・_・`)
俺は歴史嫌いだったから
信長って短気でキレやすい人だと思ってましたw
勉強になったわ〜♪
咳がでまくりんぐで体力削がれまくり以外は大丈夫ですw
無理すると重篤化するから家から出るな、
体だけは冷やすなと医者に念を押されましたw
信長は知れば知るほど面白いですよ。
あ、こりゃ負けると思ったらプライド関係なく脱兎の如く逃げたりするし、
なにをしでかすかわからないのが面白いですw
自分が信長でスゴいと思うところは、桶狭間で今川義元を倒したことよりも、義元亡き後、宝の山である駿河に攻め込まず、京都をめざしたってことです。
「常識」的に考えれば、長年の怨敵である松平を蹴散らし、駿河に侵攻するところを、松平と同盟して東を任せ、自分は西に専念するなんて、ずっと先の先まで見ていないとできないことです。
ですよね!
あまり書くとごちゃごちゃしすぎてはしょっちゃいましたけどw
その当時は裏切りが常だったので利害が一致しやすい遠交近攻政策が主でしたが、
そんなセオリーは一切無視して徳川家に背中を預け、
自分は美濃攻略→上洛→天下政権の樹立を描いていたっていうのが凄いですよね。
独自の戦闘部隊を確立し、半農半武の荒くれから略奪を一切しない職業軍人部隊を作り上げ、
地元の恨みを買わず、治安維持に勤め反乱を未然に防いだというのも特筆すべきところで、
信長は知れば知るほど本当に面白い人物です。
肺炎とは本当に穏やかではありませんね。
ひょっとしてマイコプラズマ肺炎とか言われませんでした。これなら風邪をこじらせて時々起こりますよ。
超高齢者や乳幼児ならともかく一般成人ならそれほど心配いらないのではないですか。
それにしてもiosのくそアップデートの連続、醜いですねぇ。
3GS、4、4S、5という違ったハードをひっくるめてのアップデードですから無理があると言えばあるんですがーーー。
一喜一憂するのは一部のフリークだけ、このブログでもあんなひどいアップデートをするのならiPhoneなんて二度と買いませんとおっしゃった方がいましたね。
せっかくいい端末なのにosがこのザマだと一般の人たちのiPhone離れ、またその予備軍の増加が心配です。
マイコプラズマ肺炎の検査は陰性だったので、
今はとりあえず処方された抗生剤を飲んで経過を見ているところです。
肺炎なんてかかったこと無かったのでビックリしましたw
iOSのアップデートもそろそろ3GSは捨てていいと思うんですけどね。
iPhoneの中身はほとんどバッテリーなのにこのザマなので、
バッテリーの技術革新でも無いとこれ以上の進化は難しそうですね。
あと、6.1のアップデートは新機能の追加は恐ろしいほどショボかったのに、
不具合だけは頻発というダウンデートだったので余計反感を買ったんでしょうね。
ブログいつも楽しみにしております。
体は本当に大切ですのでゆっくり休んでくださいね。
また、元気なキョウジさんの楽しい記事を期待しております。
ありがとうございますヽ(´ー`)ノ
神様が休めっていってると思って死ぬほどゆっくりしたいと思いますw
咳は体力を消耗します。
ゆっくり休んでくださいね。
はやく良くなりますように。
ありがとうございますヽ(´ー`)ノ
咳はホントつかれますね(;´Д`)
寝てる時が一番きつくて、咳で起きてはねての繰り返してをしてると
体力が回復しなくて困りました。
大分快方に向かっているので一安心ですけどもw
キョウジさんこんばんわ。
信長の話おもしろかったです。
近頃はいろんな角度から様々な武将を描く番組も多いですが、信長は相変わらずのイメージな気がしてました。
信長って苦労人でもあったんですね(笑)
肺炎は怖いです。しっかり回復できるようお休み下さい。
肺炎も薬のおかげか大分良くなってきました。
ありがとうございますヽ(´ー`)ノ
信長は結構むちゃくちゃで面白いですよw
女装して部下の前で踊り狂ったりとか、
でかい石ころ引っ張ってきて、
「これ俺な。毎日拝めよ。賽銭忘れるなよ。」
とか家臣に無茶振りして唖然とさせたりするしw
破天荒な人物ですw
先見性があるのになぜ光秀の謀反を察知できなかったのでしょうか?
>神仏を恐れていた時代に高利貸しと化して堕落の限りを尽くしていた寺院を焼き払い、地蔵を打ち壊して石垣とし、権威を権威とも思わない、自分の価値観でしか価値を測らない人間だった。
東大寺を焼いた松永久秀のほか、信長以前にも寺院勢力と衝突し焼き討ちをした権力者はいますし、石仏や墓石や仏塔を石垣に使う事例は信長以外もあります。信長よりずっと以前にも古墳を砦や出城にしている痕跡は多くあります。
信長が修正・発展させた点はあるかも知れませんが、楽市楽座、兵農分離などは六角家や今川家が信長より先んじて実施しています。全て信長の発案や先駆者ではありません。信長を持ち上げすぎです。
横から失礼します。
光秀の謀反の原因自体がわかっていませんからね。察知できなかったことと先見性は別ではないかと思います。病死でも「自分の健康状態を見抜けなかったのか!」になっちゃいますからね。
ちなみに私は、信長が光秀を高評価し、光秀がそれを受け止めきれなかったのが原因だと思いますが。
信長の寺院対策は単に暴力的は破壊ではなく、政教分離という点に注目しないと正しく評価できないと思います。比叡山を燃やしても天台宗は禁止していませんし、一向一揆を殲滅しても一向宗は禁止していませんからね。
最初に焼いたのが別にいるから信長はたいしたことない、っていう話にはならないと思うんですけど。
別に信長が発案したなんて一言も書いてませんし。
信長が凄いのは、各政策をすべて連動して最高の結果を残すように緻密に計算し、
実行したことです。
兵農分離は地侍を破滅させることに繋がってましたし、経済活動の活性化にも繋がってました。
彼が天下統一に向けての先駆者であったことは間違いありません。